ここ最近は、資格取得ラッシュだ。こんなんでも。
LPIC然り、AWS関係然り、だいぶ取れるようになってきた。
どうしても忙しくて、一時期は勉強なんか全然捗らなかった。
そして、20代はもう全く取れなかった。
難関資格に無謀にチャレンジし、無意な時間を過ごした。
まぁ、人生そのものが無駄なのだから絶望する必要はなくて、楽しんだ方が楽しいというのは30代になって気づいた。
とにもかくにも、敗因は勉強の仕方とテキストばかりだったのが悪すぎた。
忙しいから、読む時間ない。のに、インプットから始めてしまったのだ。悪いやり方だ。
ブログ然り、プログラミングだって、トロい原因はとりあえずやってしまうのがないからだ。
かのSNSの巨匠、マックザッカーバーグだって、とりあえずやっちゃえ、的なことを言っていたようなそうでないような。
結果がいまいち出ないとか、資格が捗らないとか、正答率が上がらないとか悩んでいた過去の自分に言えるのは、100回ぐらい演習してから、悩めば?と。
英語だけ入試の時は成績がそこそこ良かったのは、どうせ時間ないから演習からやるか!という実践型だったからだろう。
やっぱりアウトプットしてから考える方がいいのだ。とりあえずやってしまう。その後考える。
もういきなり演習から始めてしまうのがいいのは心理的負荷もあるんじゃないか?
だって、最初から正解できるわけねーじゃん、まぁ、軽く読むか、解説をってぐらい軽い気持ちで取り組める。
精神衛生上もいい。問題を適当(まぁ仕方ないよねっぐらいの気持ち)に解くと、一応、ノルマは達成できるのだ。やった感は残る。これがいい。インプット至上主義だと、1日1ページしか読めませんでした!ってなって、365ページあるなら365日工数がかかるわけだ・・・
60年ぐらいかかるのかな?60冊ぐらいの国家資格試験だったら。
だから、無意な時間を過ごしたなと。
このスタイルをやるタイプはきっと言葉の定義にこだわってしまったり、理解ができないと進めないたいぷなんだろう。今の自分だって、え、この言葉の意味ってどう違うんだっけ?って未だになるわけで。
言葉の定義って無限ループするって、どこかの本に書いてあった。
あと、wikipediaでこんなページもある。
>なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
究極の問いにぶつかってしまうわけで、どうして、その言葉があるのか?ロマンチックになぜ愛があるのか・・・
我ながら臭いな。
というぐらい、無限後退していってしまうわけで。
宇宙はじゃぁなぜ宇宙を作ったのか的な。
言葉に引っかかる人(自分)は微妙な違いで無限後退を繰り返してしまう。
テキストのテキストで定義を暗記したところで、文脈が変われば、意味も変わってしまうし
言葉に下ろすことのできない微妙なニュアンスも表現することはできない。
確かクオリアだった言葉だったか。
色を色で定義することはできないし、実は見えてる色ももしかしたら違うなんてYoutubeの哲学チャンネルにありそうな、そんな違いもあるわけだ。
それであれば、ある程度、演習しまくって慣れた方がいいのだ。頭にコンテキストを作った方が有意義だ。
郷に入りては郷に従う的な。
とにかく、何から始めようか、テキスト探そうかなって考えるよりとっとと過去問探して、回転させた方がよかったなと最近ふと思うようになったのでした。
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